開発職︎
創業メンバー13年目(2011年)
岩田信一
本社 開発グループ グループ長
フライミーイノベーションズ 執行役員
「フライミーは、必然で生まれた」
創業メンバーが語る、FLYMEeの歴史と未来
ー13年前、フライミー創業に誘われた当時の話から聞きたいです。
フライミー代表の坂本(如矢)とは高校の同級生なんです。二人とも高校卒業後に上京していて、ときどき会う仲でした。大学卒業後、運送業界で働きながら、なんとなくこれからの人生について思いを巡らせていたのですが、そんな時に東日本大震災が起きたんです。僕と坂本は仙台出身で、どうしたってあの震災が与えた影響は大きかった。震災の3週間後に坂本から連絡があって、たしか吉祥寺で会ったんです。震災の影響で、街がまだ暗かったことを覚えています。
そこではじめて、フライミーの構想を聞きました。家具インテリア業界はどこで何を売っているのか分からないという業界の課題があって、その課題を解決するビジネスを考えていると。一緒にやらないかと誘われたんです。
ーフライミーの構想を聞いて、すぐに参加すると決めたのですか?
まったく迷いがなかったというと嘘になりますけど、わりとすぐ決断しました。当時もう30歳を超えていたので、人生が100年だとすれば3分の1を過ぎようとしているわけじゃないですか。こうして声をかけてもらう機会が次にいつ来るかわからないし、来たとしても年齢を重ねていたら、頑張りたくても頑張れないかもしれないと思ったんです。もしかしたらこれが頑張れる最後のチャンスかもしれないと、覚悟を決めて参加しました。
そう決断できたのは、やっぱり事業構想に強く共感できたことが大きかったと思います。坂本から話を聞いたとき、実際に自分も家具購入で困った経験があることを思い出しました。たしかに家具って、どこで何売ってるかわかんないよねって。それを解決するサービスなら世の中の役に立ちそうだし、役に立つということはビジネスとしても大きくなりそうだと、そういう野心的な側面もありました。
ー創業から振り返って、今のフライミーに感じることは?
率直に、よくここまで来たなって思います。自分で言うのもなんですが、創業メンバー全員が本当によく努力した。それぞれの特性から自然と役割は決まりましたけど、会社登記もサイト開発も取引先開拓も全員が未経験だし、わからないから各自で調べてとにかくやるしかないんですよ。自分がやらないと進まないってなると、なんか意外とできるものなんですよね、きっと。やらないと進まないから、やるみたいなね。
今こうして笑いながら話せてるっていうのは、運がすごく良かったとも言えますけど、でもやっぱり相応の努力をしたと自負しています。僕が昔から好きなバンド、クイーンのブライアン・メイが「僕たちは運が良かったけど、運が来たときにつかめるように十分その準備をしてたからね」って言っていたんですけど、まさにそれだと思います。不遜な言い方かもしれないですけれど、今の事業拡大は「なるべくしてなった」とも思うんです。
よく坂本も言いますけど、僕らはこの事業が失敗するはずがないと信じていたから。誰かが金銭的な利益を享受するための事業じゃなくて、世の中に必要な意味あるサービスなんだからって、そう素直に思っていたし、今も変わらずに思っています。給料がない生活は苦しかったし、毎日終電が当たり前で体力的には相当きつかったけど(笑)、不思議なくらい失敗するイメージだけは一切なくて、とにかく早く世の中に出したいという一心で頑張っていたので、先行きが見えなくて不安で仕方ないとかそういう意味での辛さはなかったです。
FLYMEeと共に成長してきた13年間
ー13年のキャリアの中で、最も成長を実感したのはいつですか?
最初の2年と直近の2年ですね。そもそも、僕はエンジニア未経験だったんですよ。中学の時から簡単なプログラムを組んだりはしていたので、webサイト開発を担当することになったんですけど、それも坂本に「やれそう?」と聞かれたので、「やれると思う」と答えただけで(笑)。
ただ、プログラムの経験はあったんですけど、いわゆるwebの技術、HTMLやCSS、Javascriptなどはさっぱりわからなかったので、Googleを教科書にして、調べながらFLYMEeを作っていきました。自分がやらないと何も進まない状況だったので、実際何もかも一人でやりました。この2年間で、独力でサイトを立ち上げて運用していく技術力が身についたと思います。
直近2年で感じている成長は、組織とかコミュニケーションに関してですね。子どものころから自分の手を動かして無から有を生み出すことが好きでしたし、創業以来ずっとそこにやりがいも感じていました。だから、マネジメント的な役割をやりたいとは思っていなかったんです。マネジメントの立場になってしまうと、人やプロジェクトを管理するだけで面白味を感じられないんじゃないかと思い込んでいて。でも、会社や開発組織の状況が変わっていく中で、プロダクトが増えたり、子会社やチームが増えたり、もちろん新しく入ってくるメンバーもいるわけで、どう考えても自分がその役回りをやらざるをえない状況になったんです。
実際にマネジメントをやってみたら、管理するだけだなんてとんでもないと。組織や仕組みをつくるというのは、無から有を生み出すのと同じ面白さがあると気付くことができましたし、立場が意識を変えてくれたと思います。自分がチームのために何をすべきか、何を期待されているかが明確になったことで、メンバーのパフォーマンスを最大化するためにどうすべきかという視点を持つようになりました。これは自分にとって大きな成長だったと思っています。
ー独走での開発からチーム開発になりましたが、チームとして働く上で心掛けていることは?
創業期、失敗するイメージはなかったので、そういう意味での辛さはなかったと話しましたが、じゃあ何が辛かったかと思い起こすと、創業メンバー同士はわりとコミュニケーションが荒かったんですよね。みんな今より若かったし、それぞれに必死で余裕がなかったというのももちろんあるんですけど、言葉を選ばずに言えば……殺伐としていましたね。
意見の違いによる対立があるというのは、健全な状況だと思います。どうしたらもっとよいゴールにたどり着けるかという思いを共有した上で、Howの部分でディスカッションしている状態ですよね。でもそこに、相手を同僚として尊重する態度がないと、本質と離れたところでの対立が生まれてしまう。そういう状況は無意味だし、そうしないためには、一人ひとりがお互いに対するリスペクトを持つ必要があるし、リスペクトされる仕事をすべきだとも思っています。
ー今はどのようなチーム運営をしていますか?
創業期と今では当たり前ですけどフェーズが違いますし、最適な関係性なり環境も違う。理想とするのは、自律できているメンバーが、それぞれに自走できるチームです。かつ、変化に強い組織でありたいので、属人化しないための仕組みやルールを徹底しています。理想的な形を目指してメンバーと一緒に選択したのは、スクラム開発と言われるフレームワークです。「この開発でユーザーにこんな価値を届けられる」ということを明確に言語化し、「なんのためにやるのか」をチーム全員が共有している状態から開発を始めることで、それぞれの持ち場に限定されずにフォローしあって、共通の目標達成のために自発的に動ける環境がつくれています。
ー今のフライミーには、どんなエンジニアがいるのでしょう。
今は中途採用のメンバーが多数を占めていますので、それぞれが色々なバックボーンを持っています。共通しているのは、事業への興味関心が強い点でしょうか。ビジョン共感とも言えると思います。自分が関わるプロダクトや事業の成長や成功を、いちエンジニアとしてだけでなく、フライミーという会社の一員として見届けたいという思いがある。
皆それぞれ、いちエンジニアとしては、やっぱり最先端の技術追究は好きなんだろうなと、日常的な会話や何気ない発言からも感じます。でも、技術はあくまでも手段であって目的ではないので、僕らは事業会社のエンジニアとして、技術選定は事業ありきで考えたいと思っています。今のメンバーとは、この事業においてユーザーにいかに早く価値を届けるためにどうすべきかという目線で、技術選定だったり開発プロセスにおける組織改善の仕組み化を一緒に決めています。自分たちのプロダクトだし、自分たちの組織なんだと。そんな気持ちを共有できるメンバーと一緒に働ける今の環境は、すごくありがたいですね。
ーご自身の今のやりがいは?
自分の一番のバリューは、端的に言って長くいること。フライミーをよく知っていることです。創業以来のプロダクトの特性やカルチャー、ブランディングを深く理解していることです。また、技術的な面でも、これまでの開発知識や経験の蓄積があります。それらのさまざまな暗黙知を形式知化してチームメンバーに共有していきたいですね。
チーム開発の話もしましたけども、やはりそういうところの共通認識があるかないかで、チームのパフォーマンスが全然違うということは実感していて。だからチームメンバーひとりひとりが自身で考えて自身で進んでいくために、僕が今持っているバリューをチームに敷衍して浸透させていくことが自分のやるべきことだと思いますし、それにより組織の効率化や仕組み化が進んで、少しずつ結果が良くなっていくところにやりがいを感じています。
ー社内で初めて男性として育休を取得されたそうですが、その経験を通じてどんなことを感じましたか?
2023年に3週間の育休を取りました。社会の風潮的に男性も育休が当たり前になってきた時期でしたけど、フライミーではまだ男性の育休取得者はいなくて。女性はいっぱいいたんですけどね。どんなこともファーストペンギンは勇気がいるし、当時の業務状況だと休みを取ることへの不安もありました。メンバーに負担をかけてしまうんじゃないかなって。でも、属人化しないチームを理想に掲げていましたし、自分がいなくても問題ないチーム体制をつくってきたつもりではいたので、きっと大丈夫だと信じていました。3週間という短い期間でしたけど、娘の成長を日々つぶさに見れたことはすごく良かったです。
翌年、別の男性社員が育休をとったんです。僕の育休をメンバーが経験してくれていたので、本人もチームも、準備期間から不在期間、復帰するまでの一連の流れは、自分の時よりもスムーズだったんじゃないかなと。ファーストペンギンになって良かったなと思います。
技術革新が進んでも、人の気持ちが関わる部分は変わらない
ーEC業界の未来をどんなふうに思い描いていますか?
僕たちはEC事業をやりたかったわけではなくて、家具を買う時に「どこで何売ってるかわからない」を解決したいというところから始まっているんですよ。それを「空間創造の社会インフラ」と言語化して、今に至るわけなので、フライミーの事業=家具ECではないと常々思っています。今の技術や社会背景から、現在はECという媒体が問題解決に最適だからそれを選択しているだけ、とも言えるんです。
テクノロジーの進化は日進月歩で、これから先どういう技術が開発されて、どういう体験を人類がしていくのかを読むのは非常に難しい。一方で、ちょっと話が逸れますけれど、僕は古典文学が好きで徒然草とか一時期すごい読んでいたんですけど、人間の考えていることややっていることは1000年近く前とほとんど変わっていないんですね。技術の進歩によって、移動が徒歩から鉄道や飛行機になって圧倒的な時短になりましたが、じゃあ何のために移動するのかといえば、人に会うためだったりして。テクノロジーの発展で手段が変わりコスパやタイパは向上しましたが、やってることそのものや目的は変わっていない。
なので、基本的にはやっぱり人が「何がいいかな」ってわくわくしながら選んで、それを無事に届ける人がいるっていう、スタートにもエンドにも人がいるっていうところが、この事業の変わらない点なんじゃないかなと考えています。だからこそ、僕らは技術者ですけど、そういうところを変わらず大事にして事業に取り組んでいきたいですね。
(インタビュアー 竹田芳幸、ライター 石川歩)